大和郡山城の本丸跡には現在、柳澤神社があります。
初代郡山藩主・柳沢吉里の父であり、5代将軍・徳川綱吉に重宝された側用人の柳沢吉保を祀る神社で、1880年(明治13年)10月29日に創建されました。
創建当時は現在、奈良県立郡山高校のある二の丸跡に社殿が建てられましたが、1882年(明治15年)6月に現在の場所に移されました。
本丸と二の丸との間に架けられていた、竹林橋の入口に鳥居と社標碑があります。
柳澤神社 御由緒
御祭神 柳澤美濃守吉保公 創建 明治一三年 例祭日 一一月二日 境内地 一五八三坪 主要建物 本殿(銅板流破風造)
中間付拝殿(割拝殿)
鳥居 神明鳥居
手水舎
社務所
参集殿
祖霊舎 柳澤吉里公外御祭神 柳澤吉保公
五代将軍綱吉公の幕臣となり、元禄元年一万石を与えられ側用人となる。
英俊敏捷にして学を好み、将軍綱吉公の意をよくとらえ元禄七年には武蔵国川越城主で老中格となる。
宝永元年、甲府城主となり表高一五万石を与えられる。
民の疾苦を問い、強く仁政を施し名士も多く細井廣澤、荻生徂徠は最もよく知られるところである。
「御子柳澤吉里公が甲府より郡山に国替えとなり、柳澤藩が一五万一千石余の大名として六代一四〇年、明治維新まで続いた。」
宝永六年綱吉公の死後、東京駒込(六義園)に移り隠退、正徳四年一一月二日没す。享年五七歳。
毎年3月末~4月初め頃の桜の時期に行われる「大和郡山お城まつり」では、境内に屋台が立ち並びにぎわいます。