郡山城
郡山城

[奈良県][大和] 奈良県大和郡山市


  • 平均評価:★★★★☆ 3.54(60位)
  • 見学時間:1時間7分(61位)
  • 攻城人数:2081(79位)

追手東隅櫓

この2重櫓が追手東隅櫓と呼ばれるようになったのは柳沢吉里が甲府城から入封したのちのことで、それまでは「法印斜曲輪巽角櫓(ほういんななめのくるわたつみすみやぐら)」と呼ばれていました。

物見櫓として使われ、追手門を横矢で守備する重要な櫓でした。
また、かつては時を知らせる太鼓が置かれていたそうですが、1873年(明治6年)に取り壊されました。

市民の寄付などにより、1984年(昭和59年)に復元されました。

発掘調査の結果、この復元追手東隅櫓周辺からは多聞山城から流用されたとされる軒平瓦が出土しています。

   

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図説 徳川家康と家臣団 平和の礎を築いた稀代の〝天下人〟

中の写真、図が多くて「読みやすそう」と手に取りました。家康を生んだ松平氏について、戦国大名徳川家康の苦悩、家康を支えた家族、家臣団についてなど最新の情報で詳しく著されています。大河ドラマの予習としてもいいですが、「ここはこう解釈されたのか」と復習しながらよむのも一興です。今まで定説になっている「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の家康像とは、少し違った家康像が見えてきます。

黒まめさん)

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