石垣に使用する石が足りない場合、墓石や石像、石臼などが使われることがあります。
これを「転用石」と呼びますが、大和郡山城でも転用石は多く見られます。
なかでも「さかさ地蔵」と呼ばれる、石地蔵が逆向きに置かれたものが有名で、天守台の裏手、北側の石垣にあります。
石組みの間から奥を覗き込むと、逆さになった状態で石の間に埋もれている地蔵を確認することができます。
さかさ地蔵
大和郡山城の本格的な築城は、天正十三年(一五八五)、豊臣秀長が入部して一〇〇万石の居城にふさわしい城造りがなされようとしたことに始まります。
天正十五年には紀州根来寺の大門を郡山に運んで城門とし、春日神社の水谷川から大石を切り出し郡山に運び込まれました。
又翌年には築城のための石不足で奈良中に五郎太石(石垣裏込め用)の採集を命じるほか、寺々の庭石や礎石、五輪塔、石地蔵などを接収しました。
この天守台周辺の野面積みの石垣には、平城京羅城門の礎石や、石地蔵、五輪塔などがおしげもなく積み込まれています。
さかさ地蔵もこのうちの一つで、石造地蔵菩薩立像が逆さに積み込まれているので「さかさ地蔵」と呼ばれています。
地蔵は、左手に宝珠を持ち、右手に錫杖を持っています。
仏身は約九十センチメートルの立像で大永三年(一五二三)癸未七月十八日の刻銘があります。
さかさ地蔵の隣に数多く置かれている石仏は、路傍に忘れ去られた野仏や都市開発工事で堀り出されたものなどを、誰とはなしにここに運んだものです。
少し近づいてみましょう。
ばちが当たりそうで怖くて、これ以上近寄れませんでした。
ぜひご自身の目で見てみてくださいね(ごめんなさい)。