米子城は中村一氏の子、中村一忠の居城として知られています。山陰で最初に築かれた近世初期の城郭で、山陰一の名城と呼ばれました。かつては尼子氏の城でしたが、毛利方の吉川元春に攻められ落城しています。その後は元春の子である吉川広家が城主だったこともあります。この広家が築いた天守を四重櫓(小天守)として残して、一忠はあらたに四重天守(大天守)を築いたため、「双頭の天守」の城だったそうです。現在は湊山公園として整備されており、本丸の石垣が修理復元されています。天守台からは晴れた日には隠岐島まで見渡すことができます。山麓から見える天守台も迫力があります。また、近くにある市立山陰歴史館には米子城の模型や資料が展示されています。
米子城を訪問した1423人の報告によれば、平均見学時間は1時間7分、平均評価は3.73点となっています。
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米子城に関するデータ 情報の追加や修正
90 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
4重5階
20.12 m
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吉川広家が1591年(天正19年)から築きはじめた3重4階の独立式望楼型天守(約15m)は朝鮮出兵などがあり、なかなかはかどらなかった。その後、中村一忠が入封した際に築城途中であった米子城を完成させるべく工事を再開させた。1601年(慶長6年)ころに完成したとされるこの工事により4重5階の天守が築造され、吉川広家が築いたものは四重櫓(小天守)となった。本丸にふたつの天守相当の建物が並ぶのは全国でも稀な例だったが、1880年(明治13年)頃に取り壊された。
山名氏か
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1871年(明治4年)
吉川広家、中村一忠
山名氏、尼子氏、吉川氏、中村氏、加藤氏、池田氏
天守台、曲輪、石垣
国史跡
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登録日:2013/11/17 17:35:49
更新日:2024/10/12 19:55:29
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