浜田城は江戸時代に古田重治によって築かれた城で、浜田藩の藩庁が置かれていました。2代・重恒がいわゆる「古田騒動」を起こし改易となって以降は松平氏や本多氏など譜代・親藩が入れ替わり治め、長州藩に対する山陰側の押さえの最前線として重要視されました。天守をはじめとする建物は1866年(慶応2年)の第二次長州征伐の際に焼失しています(大村益次郎指揮の長州軍に攻められ落城)。現在は城山公園として、本丸から三の丸にかけて階段状に石垣が残っています。また、登城口に津和野藩武家屋敷より移築された門があり、司馬遼太郎の碑文「浜田藩追懐の碑」も建っています。
目次
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67 m
内郭:-- 外郭:--
3重3階
14 m
1620年(元和6年)頃に古田重治によって築かれたとされる天守(御三階櫓)は、1866年(慶応2年)に長州征伐で焼失。
古田重治
着工 1620年(元和6年)2月 〜 竣工 1623年(元和9年)5月
1866年(慶応2年)
古田氏(5万5千石)、本多氏、松平氏
石垣、門(他所より移築)
県史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 67 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 独立式望楼型 |
天守の階数 | 3重3階 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | 14 m |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1620年(元和6年)頃に古田重治によって築かれたとされる天守(御三階櫓)は、1866年(慶応2年)に長州征伐で焼失。 |
築城主 | 古田重治 |
築城開始・完了年 | 着工 1620年(元和6年)2月 〜 竣工 1623年(元和9年)5月 |
廃城年 | 1866年(慶応2年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 古田氏(5万5千石)、本多氏、松平氏 |
遺構 | 石垣、門(他所より移築) |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 |
更新日:2023/11/29 03:28:39
浜田城へのアクセス情報 情報の追加や修正
護国神社参拝者用駐車場(無料)
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 護国神社参拝者用駐車場(無料) |
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