満願寺城は尼子経久に臣従した湯原信綱が築いた城です。1562年(永禄5年)に毛利元就が出雲に進出すると城主・湯原春綱は降伏し、以降は毛利水軍の一翼として活躍しました。その後、1569年(永禄12年)に尼子再興軍が蜂起すると、満願寺城を巡って尼子氏と毛利氏が争い、尼子氏残党の奈佐日本之介が占拠しましたが、1573年(天正元年)に吉川元春が攻略し再び毛利氏に属しました。城名にもなっている満願寺はいまも東麓に残っており、境内には元就が植えたと伝わる椿があります。遺構はわずかに横堀や竪堀が宍道湖に面した丘陵部分に確認できます。
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「日本史の知識をアップデートするための勉強会」にて榎本先生から紹介もあり、読んでみることにしました。幕末から明治初期に渡り、加賀藩の御算用者であった猪山信之、直之、成之3代に渡り残された家計簿その他の書簡・日記から、その当時の武士の経済状態や考えが良く解る内容となっています。猪山家が困窮する家計を如何に立て直したか、また幕末から明治にかけて時代が変わる中で猪山成之がどのように考え行動していったかが、そして当時の士族が時代の流れの中でどのようになっていったのかの一端を垣間見ることが出来ました。この本が原作となった2010年公開の映画「武士の家計簿」の中で、原作では娘の髪結に際にお金がなく絵に描いた鯛を用いたエピソードが、長男の着袴の際のエピソードとして描かれておりましたが、映画の方も楽しく鑑賞させて頂きました。
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