紀伊田辺城は浅野家の家老・浅野知近によって築かれた城で、一国一城令のあとは陣屋に改築されています。この頃は湊城と呼ばれていました。1619年(元和5年)に徳川頼宣が紀州に入ると、付家老・安藤直次によって湊城を改築して田辺城が築かれています。以降は明治時代まで安藤氏が城主をつとめました。当時の遺構はほとんど残っていませんが、わずかに石垣と水門が現存しています。
紀伊田辺城を訪問した144人の報告によれば、平均見学時間は23分、平均評価は2.56点となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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