七尾城は益田氏歴代の居城として知られています。1556年(弘治2年)、益田藤兼は城を修築し、陶晴賢に味方しましたが、毛利元就・吉見正頼の軍勢に攻められ、吉川元春の勧告により毛利氏に臣従しました。以降、益田氏は毛利氏に仕え、「関ケ原の合戦」後に毛利氏が防長2国へと減封となるとこれに従い、廃城となりました。現在城址には水堀、曲輪、土塁などの遺構が確認でき、山麓にある住吉神社の参道入口に案内板や駐車場があります。西にある妙義寺には益田越中守兼堯像があり、その近くには益田藤兼の墓があります。また染羽町にある医王寺には大手門が移築されており、益田越中守兼堯の墓があります。
目次
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七尾城に関するデータ 情報の追加や修正
120 m
内郭:-- 外郭:--
益田兼高
着工 鎌倉時代
1600年(慶長5年)
益田藤兼
益田氏
曲輪、土塁、空堀、畝状竪堀
国史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 120 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 益田兼高 |
築城開始・完了年 | 着工 鎌倉時代 |
廃城年 | 1600年(慶長5年) |
主な改修者 | 益田藤兼 |
主な城主 | 益田氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、空堀、畝状竪堀 |
指定文化財 | 国史跡 |
復元状況 |
更新日:2023/12/07 03:35:41
七尾城へのアクセス情報 情報の追加や修正
住吉神社の参拝者用駐車場(無料)
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 住吉神社の参拝者用駐車場(無料) |
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歴史好きな方であっても「世界史」と言われるとカタカナ文字だらけだったり、地域を跨ぐ国がいくつも栄衰したりで手が出し難いと思います。
一方「鉄砲伝来」とか「日本銀」のお話と言うと、ここ最近のテレビ番組でも特集が組まれたりしているので、もっと詳しく広い範囲で知りたい方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この本は対馬や琉球などの「日本と海外の境界地」を中心とした戦国期の歴史から民族の流れや需要と供給の変化などを知ることが出来ますよ。
なので読み進め方は最初から読むよりも興味のあるキーワードがある章から読み始め、最後に全体を通して読むのが良いと思います。
個人的なおすすめは第6章でざっくり言うと、豊臣秀吉の朝鮮出兵の本当の目的は?その結果世界(特にアジア圏)はどう変わったか?のお話です。
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