鳥取城は羽柴秀吉による兵糧攻め、いわゆる「鳥取の飢え殺し」の舞台となった城として知られています。江戸時代には鳥取藩主・池田氏により近世城郭として改修されました。現在城址には天守台のほか、石垣や堀が遺構として残っており、正面入口には秀吉に攻められた際の毛利方の城主である吉川経家の像が建てられています。また大手門にあたる「中ノ御門表門」が2021年(令和3年)春に復元されました。
鳥取城を訪問した1821人の報告によれば、平均見学時間は1時間36分、平均評価は3.85点となっています。
鳥取城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
鳥取城に関するデータ 情報の追加や修正
263 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
2重2階、地下1階
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世にいう「鳥取城の飢え殺し」の頃の天守は1573年(天正元年)に山名豊国が守護所のあった天神山城から移した独立式望楼型3重だったが、関ケ原の戦いの後に池田長吉が入封した際に大改修された。このときの天守は1601年(慶長6年)に着工し、1602年(慶長7年)に完成したとされるが、1692年(元禄5年)に落雷で焼失した。その後は再建されず、二の丸の御三階櫓(独立式望楼型3重3階)を天守の代用にした。この御三階櫓も1720年(享保5年)に焼失し、1728年(享保13年)に層塔型で再建されたが、1879年(明治12年)に取り壊された。
但馬山名氏か?
着工 天文年間(1532年〜1555年)
1871年(明治4年)
吉川経家、池田長吉
山名氏、吉川氏、宮部氏、池田氏
石垣、堀、井戸
国史跡
大手門(中ノ御門表門)
登録日:2013/11/17 17:35:47
更新日:2024/10/12 22:59:10
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