高取城は大和郡山城の支城のひとつで、豊臣秀吉の四国攻めで長宗我部元親を降した功績により大和国を与えられた豊臣秀長の時代には、重臣の脇坂安治や本多利久が城主を務めました。日本国内では最大規模の山城で、備中松山城や岩村城とともに日本三大山城のひとつに数えられます。元和元年(1615年)の一国一城令の際も重要な山城として破却を免れ、現在も石垣や石塁が残されています。高取城のように山城のまま石垣、天守、櫓、門、殿舎まで築かれた例は少なく、山城でありながら小天守まである貴重な城です。
目次
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項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 583.9 m( 390 m ) |
城郭規模 | 内郭:1 ha 外郭:6 ha |
天守縄張、天守形式 | 連立式望楼型 |
天守の階数 | 3重3階、地下1階 |
天守の種類 | 非現存天守 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 天守は1593年(文禄2年)に豊臣秀保(本多利朝か)によって築かれたが、1891年(明治24年)に取り壊された。 |
築城主 | 越智邦澄 |
築城開始・完了年 | 着工 1332年(元弘2年) |
廃城年 | 1873年(明治6年) |
主な改修者 | 筒井順慶、本多利久 |
主な城主 | 越智氏、筒井氏、本多氏、植村氏 |
遺構 | 石垣、堀、井戸など多数 |
指定文化財 | 国史跡 |
復元状況 |
更新日:2023/06/01 03:23:27
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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