高取藩の家老中谷家の長屋門を移築したもので、今は旧藩主植村家の住居となっています。海鼠壁でオシャレです。
高取城の廃城の際には土佐小学校に移築され、火災を経て残存部が公園に移築されています。
武家屋敷の長屋門。右のおしゃれな出窓もあるけれど、左の監視もできる与力窓もあります。城域内に沢山ある武家屋敷跡にこんな門を持つ屋敷が立ち並んでいたのを想像するとすごいです。
高取藩の家老中谷家の長屋門を移築したもので、今は旧藩主植村家の住居となっています。海鼠壁でオシャレです。
城下町から登りここからが郭内になるそうです。ここから猿石まで岩屋郭などに寄り道をしなければ20分くらいです。
立派な城趾碑、黒門を過ぎてしばらく行くとあります。
七曲り道を経て一升坂へ行く手前、本丸まで1060mの道標の反対方向へ行くと岩屋郭へ行けます。
近隣の飛鳥村でも類似の石像が見つかっていて、石垣に使おうとしたけれど使わなかったとも言われています。ニノ門の番人かな。
山城なのに石垣造りの水掘があります。とても神秘的で引き込まれそうです。
城内最北のニノ門跡。門は城下の子嶋寺に移築されています。
ニノ門から東へ曲がると三ノ門があり、櫓も控えています。石垣が累々と続き楽しいです。
国見の名が表す通り、奈良盆地や大和三山が一望出来る櫓跡です。行った時は少し霞んでいましたが、六甲山まで見えました。
松ノ門手前、矢場門。矢場門から松ノ門までの狭い城道も素敵です。
松ノ門あたりから急に石垣の石が立派になってきて、転がっている転落石も大きいです。 この先少し郭上の侍屋敷が立ち並んでいたのでしょうか。
ここ、かっこよくて好きです。宇陀門より上は城代屋敷跡があり威厳を感じさせます。
高さもあり立派な石垣です。この調子で行けば天守台はどんな規模かと期待が高まります。
三ノ丸へと入ります。厚みのある石垣が食い違っています。
右折れ桝形門です。大手門あたりは石垣の苔むし具合が一番だと思います。
ここで二ノ丸下段から御殿等があった二ノ丸上段へと入ります。右に折れてから180度ターンして入るようになっています。
ここから本丸下段に入ります。右側(本丸西側)の本丸下段石垣には、北に太鼓櫓、南に新櫓がのっていました。
本丸下段から下の門、上の門を通って本丸虎口へ。厳重な桝形虎口になっています。
本丸の高石垣下に細い下段郭があり、また石垣が下に続いています。
天守台穴蔵の入り口あたり(奥)は古墳の石棺石が使われています。
大きい井戸跡が天守のすぐそばにあり、水を湛えています。
天守と小天守を繋ぐ多聞櫓跡から。十五間多聞跡が見えています。本丸高石垣上は眺望が良いです。
石垣からユキノシタが沢山咲いていてとてもキレイ。高取城の本丸は天守、小天守、三層櫓群を多聞櫓で繋いだ壮大な構えでした。
岩村城の出丸から見た本丸石垣と似ているとおもいました。
本丸の北側の十方櫓下石垣を吉野口郭から見上げたところ。数段になっていますが、すごい迫力です。
谷部へも石塁が落ちています。かっこよくてゆっくり見たいですが、この辺りハチが非常に多いです。
門跡から本丸に続く方の登り石垣。かっこいいです。
大手門から吉野口郭方面へ降りて、芋峠の道標の方にいくとあります。土橋も下部は石垣造りです。かっこいいです。
奈良方面への道を断ち切る弥勒堀切直前の堀切です。弥勒堀切側に大きな蜂の巣がありました。
おそらく地形を利用した大規模な堀切で、南からの本丸への侵入を阻止しています。
本丸北側の吉野口郭は広大で侍屋敷が並んでいます。城域は沢山井戸がありますが、ここにもあります。
ここより下、木の階段がついて昇降しやすくなっています。
高取山中腹、壺阪口門から麓まで下山するとちょうど真ん中くらいにあります。越智氏、羽柴秀長、本多氏、植村氏など高取城主の庇護を受けました。 ちょうど(あじさゐ回廊)がやっていて、極彩色、エキゾチックなお寺でした。
かつての藩主下屋敷表門が移築されて、病院の門になっています。
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