信貴山城は戦国時代の三大梟雄のひとり、松永久秀の居城として知られています。110をこえる曲輪があり、奈良県下最大規模の中世城郭です。信長に謀反を起こした久秀が籠城し、名茶器である「平蜘蛛茶釜」を粉々に割って、天守とともに爆死したという逸話で有名な城ですが、この話は創作である可能性も指摘されています。現在は信貴山真言宗の総本山である朝護孫子寺の境内になっており、曲輪跡がほぼ残っており、当時の縄張りの全容を確認することができます。
目次
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信貴山城に関するデータ 情報の追加や修正
433 m( 340 m)
内郭:-- 外郭:--
4重
松永久秀が築いたとされる4重の天守櫓は、天正5年(1577年)10月に久秀が織田信長に謀反を起こして攻められた際に炎上した。信長は安土城築上の際に、この信貴山城の4重櫓を参考にしたと思われる。
木沢長政
着工 1536年(天文5年)
1577年(天正5年)
松永久秀
木沢長政、松永久秀
曲輪、空堀、土塁、門跡
平群町指定文化財、町史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 433 m( 340 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 望楼型 |
天守の階数 | 4重 |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 松永久秀が築いたとされる4重の天守櫓は、天正5年(1577年)10月に久秀が織田信長に謀反を起こして攻められた際に炎上した。信長は安土城築上の際に、この信貴山城の4重櫓を参考にしたと思われる。 |
築城主 | 木沢長政 |
築城開始・完了年 | 着工 1536年(天文5年) |
廃城年 | 1577年(天正5年) |
主な改修者 | 松永久秀 |
主な城主 | 木沢長政、松永久秀 |
遺構 | 曲輪、空堀、土塁、門跡 |
指定文化財 | 平群町指定文化財、町史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/20 03:26:32
信貴山城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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