信貴山城跡に立てられている案内板の内容を紹介します。
信貴山城の中心である雄嶽の山頂付近に城跡碑と並んで立てられています。
信貴山城
平群町指定文化財
平成五年四月一二日指定標高四三三mの信貴山雄嶽(おだけ)を中心とする山城で、東西五五〇m、南北七〇〇mに渡って一二〇以上の郭を配し、奈良県下最大規模を有する中世城郭。
- 所在
- 平群町信貴山一三〇八の一番地
- 所有・管理
- 信貴山歓喜院朝護孫子寺
空堀の切り通し堀、土塁(どるい)、門等の城郭跡が良く残り、特に高櫓(たかやぐら)跡は著名で、中世末、織豊期(しょくほうき)直前の山城跡として保存状況の極めて良好な例で貴重な遺跡。
信貴山は古代より河内と大和を結ぶ要衝地(ようしょうち)として幾たびか築城が繰り返された地である。古くは、天智朝における高安城中心地域となり、中世には護良(もりなが)親王が鎌倉幕府軍への対抗拠点とするなど戦略的に重要な位置にあった。
その後、戦国時代に木沢長政、松永久秀が築城入城し、大和を抑える本格的な山城として整備される。
天正五年(一五七七)、松永久秀が織田信長に背き、大軍の総攻撃を受け五〇日間籠城、一〇月一〇日に落城。
その後、廃城となる。平群町教育委員会