打吹城は室町時代初期、伯耆守護・山名時氏の嫡男である山名師義が田内城から守護所を移すために築いた城です。以後、戦国時代まで約200年の間、山名氏の居城として使われました。尼子氏の侵攻によって落城したあとは、南条氏や毛利氏の支配下に入りますが、「関ケ原の戦い」後には米子城主・中村一忠の家臣である中村伊豆守が城番として置かれました。1615年(元和元年)の一国一城令で打吹城は廃城となり、破却されましたが、1632年(寛永9)に池田光仲が池田光政と替わって鳥取城に入った際に、荒尾嵩就が家老としてこの地を預り、打吹山麓に陣屋(倉吉陣屋)を築きました。現在は山頂部と中腹に曲輪跡が残り、越中丸展望所には模擬櫓が建てられています。
打吹城を訪問した133人の報告によれば、平均見学時間は1時間1分、平均評価は2.85点となっています。
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打吹城に関するデータ 情報の追加や修正
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204 m( 180 m)
内郭:-- ha 外郭:-- ha
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本丸北隅の倉吉市街地を望む場所には天守台も残り、天守も存在していたと考えられる。また本丸には慶長初期のものと考えられる石垣・枡形も残っている。
山名師義
着工 1370年(応安3年)または延文年間(1356年~1361年)
1615年(元和元年)
荒尾嵩就
山名氏、南条氏、毛利氏、中村氏、荒尾氏(池田氏)
曲輪
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模擬櫓
登録日:2020/09/29 20:52:21
更新日:2024/12/04 03:33:25
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