かつては大和大納言・羽柴秀長の居城、江戸時代には郡山藩の藩庁が置かれた郡山城にも攻城団のチラシを置いていただきました。
柳澤吉里が藩主の時代には「梅林門」とも呼ばれた追手門(復元)の写真を使わせていただきました。
本丸跡にある柳沢文庫に置いていただいています。
公益財団法人郡山城史跡・柳沢文庫保存会からコメントをいただけたのでご紹介します。
コラボチラシコレクションを公開しました。お持ちのコラボチラシをチェックしてみてください。
岩村城の城主・遠山景朝の子、遠山景重の居城である明知城にも攻城団のチラシを置いていただきました。大正村観光案内所と恵那市観光物産館「えなてらす」で入手可能です。
つづきを読むみなさんのマイページ(公開用プロフィールページ)のヘッダー部分について、背景色を指定したり、ヘッダー画像を設定できるようにしました。
つづきを読む毎月恒例の月次レポートを公開します。師走の由来が「お坊さんが走り回る」というのはどうやら間違っているようですが、現代人にとって忙しい月であることはまちがいないので、みなさんも健康に気をつけて、良い一年の締めくくりにしてください!
つづきを読む日本三大山城のひとつに数えられ、おつやの方が女城主をつとめたことでも知られる岩村城にも攻城団のチラシを置いていただきました。岩村歴史資料館と岩村まち並みふれあいの舘、さらに恵那市観光物産館「えなてらす」で入手可能です。
つづきを読むtoproadさんが城がたり「よくわかる小牧山城」を企画してくれました。愛知県小牧市と調整してくださり、学芸員の方にZoomで話していただけることになりました。小牧山城の歴史、発掘調査の成果など、いろんな話が聞けると思いますのでぜひご参加ください。
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江戸時代に入ると、水野、松平、本多、柳澤といった譜代大名が歴代城主を務め、享保9年(1724)柳澤吉保の子、柳澤吉里が甲府城から入封後は柳澤氏6代が明治維新まで居城としました。廃城後に城郭建築は失われてしまいましたが、城跡には織豊時代の石垣や堀などがよく残っていて、今ではとても貴重な歴史遺産となっています。
また奈良は石材が乏しかったため、元々は寺院等にあった五輪塔や墓石、地蔵等が石垣として使われている数多くの転用石を間近に見ることができます。それらの価値が評価され、郡山城跡は令和4年(2022)11月に国史跡として指定されました。
現在は、大手門、大手東隅櫓、大手向櫓が復元され、天守台も大和平野を一望できる眺望施設として整備されました。平成2年(1990)には「日本さくら名所100選」(公益財団法人日本さくらの会選定)の一つに、平成29年(2017)には「続日本100名城」(財団法人日本城郭協会選定)の一つに選ばれました。
多くのお城好き、歴史好きの皆様に、堀や町割が現在も残る大和郡山市にお越しいただき、織豊期から近世まで畿内統治の要として整備された郡山城跡を散策いただけたら幸いです。城跡内には、ドッグランサークルを備えた番屋カフェもオープンしています。