長篠城址史跡保存館の前に設置されている案内板の内容を紹介します。
国指定史跡 長篠城址
長篠の戦い
◆天正三年(一五七五)五月、武田勝頼軍一万五千が、徳川家康の将 奥平貞昌以下五百が守るこの長篠城を包囲して攻防約十日、織田信長三万・八千の援軍は、五月十八日西方四キロの設楽原(したらばら)に到着して陣を築く。武田軍は二十日 長篠城の囲みを解(と)いて設楽原へ進出、二十一日は夜明けと ともに織田・徳川軍の陣地に突入し壮絶に戦うが、数千挺の銃撃にさらされ歴戦武勇の将士の多くを失なった。勝頼は数騎に守られて敗走した。
長篠城
◆豊川本流(寒狭川)と、宇連川の合流店の断崖上にあり、本丸・帯郭(おびくるわ)・野牛(やぎゅう)郭・巴城(はじょう)郭・瓢(ふくべ)郭・弾正(だんじょう)郭等、総面積役一〇ヘクタール。
●本丸の土塁と堀の一部を今に残し、戦国末期の城郭(じょうかく)の姿をよく見せている。
●永正五年(一五〇八)今川氏の将菅沼元成(もとなり)築城。
●天正三年(一五七五)一一月 徳川家康は、奥平貞昌を城主に任命し城郭整備五月、武田勝頼の猛攻に耐える。
長篠城址史跡保存館
◆現地に残された武具や出土品参戦将士子孫からの提供品、他に古文書などを収蔵し、長篠の戦いの全容を展示資料で見ることができる。
●奥平氏籠城(ろうじょう)の血染めの陣太鼓
●鳥居強右衛門磔死の図(落合左平次指物(さしもの)写)
●火縄銃(三ー三〇匁(もんめ))各種、弾丸・用具其の他
●長篠合戦図屏風(びょうぶ)(尾張徳川家所蔵 原寸復元)
●具足・武具 其の他