織田信長はここで軍議を行い、茶臼山戦地本陣へと移りました。鳶ヶ巣山奇襲隊もここから出発しました。 古戦場カルタの(絵図広げ 軍議重ねし 極楽寺)と(手ぶりよく 踊る酒井の えびす舞)も近くにあります。
鳶ヶ巣山奇襲隊の嚮導役を務めた、地元の郷士豊田藤助の屋敷跡です。声をかけて写真を撮らせてもらいました。
ここより松山峠を経て五砦の背後へと進みました。幟や案内板、カルタもある登山口になっています。
奇襲隊の各部隊がここで集結し、下馬して鎧を背負い、松山峠まで登りました。途中からは軽い沢登りになります。
ここは十字路になっていて、鳶ヶ巣山砦方面へは50メートルほど北に峠を下ってから東へ尾根道を進みます。
大軍が休憩できそうな開けたポイントでした。この直前に沢を渡るのですが、そこには奇襲隊水汲み場との標柱が立っていました。
1573年の徳川家康の長篠城攻めの際に付け城として築かれた砦で、長篠設楽原合戦では武田方に再利用され、奇襲隊の攻撃を受けました。 長篠城本丸方面などがよく見えます。
電車が通るまでずっと眺めていようと思いましたが、歩道がなく、交通量が多いです。気をつけてください。
長篠設楽原合戦後、長篠城主奥平貞昌らを呼び寄せ、褒詞を与えた地です。 奥平貞昌は家康から娘の亀姫を娶らすと約束され、新城城を築き迎え入れました。 カルタも近くにあり、守り抜く 城主の貞昌二十一
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