松の大廊下(松之大廊下、松の廊下)は、「忠臣蔵」で知られる、浅野内匠頭が吉良上野介に対して切りかかった場所です。
江戸城内にあった大廊下のひとつで、本丸御殿の大広間から将軍との対面所である白書院に至る全長約50m、幅4mほどの畳敷の廊下でした。
廊下に沿った襖に松と千鳥の絵が描かれていたことから、この名前がつけられたといわれています。
「松ノ御廊下(まつのおんろうか)」とも呼ばれます。
松の大廊下跡
赤穂浪士(あこうろうし)討ち入りにつながったことで知られる、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)への刃傷(にんじょう)事件(1701年〔元禄14年〕)のあったところです。廊下に沿った襖(ふすま)戸に松と千鳥が描かれていたのが名前の由来といわれます。江戸城中で2番目に長い廊下で、畳敷きの立派なものでした。Site of Matsu-no-o-roka Corridor
Every Japanese knows that this corridor was the locus of the unfortunate event when Lord Asano Takumino-Kami Naganori attacked and wounded Lord Kira Kozuke-no-Suke Yoshinaka in 1701. Cf. The Story of the Forty-seven Loyal Ronin. Matsu-no-o-roka Corridor was named after the long corridor decorated with paintings of pine (matsu) trees and plovers. It was the second longest corridor with tatami-mats in Edo Castle.
江戸東京博物館には、松の大廊下の模型があります。