九段下の交差点近く、昭和館の前に「蕃書調所跡」の石碑と案内板が建てられています。
蕃書というのはいわゆる洋書のことで、蕃書調所は江戸幕府によって設立された幕府直轄の洋学研究教育機関です。
1853年(嘉永6年)のペリー来航以後、蘭学にとどまらない洋学研究の必要性を痛感した江戸幕府は、洋式軍事技術導入や外交上の要請から、当時の老中・阿部正弘のもとで開設が計画されました。
創設にあたっては、官学最高の地位にあった儒学者の林大学頭から横やりが入り、「野蕃」の字がつけられたといわれています。
東京都指定旧跡蕃書調所跡
所在地 千代田区九段南一丁目六
旧跡指定 昭和三十年三月
安政三年(一八五六)に、江戸幕府は竹本図書頭拝領屋敷上地である当地に、蕃書調所を設けました。
蕃書調所は、最初「蕃書和解御用」として西洋の書籍を解読して海外事情を調査するために設置されました。その後、幕臣・諸藩の家臣らに対して西洋の文物を教育する機能も加わります。また、画学局も置かれ、明治期に活躍した西洋画家たちも多数学んでいます。
のち神田一ツ橋通りに移転して、洋書調所、さらに開成所と改称しています・明治二年(一八六九)に、大学南校となり、開成学校と改称しました。現在の東京大学法学部・文学部・理学部の前身です。昭和三十一年三月設置 千代田区教育委員会
(平成二十四年九月補修)
蕃書調所は場所を何度か移転していますが、この石碑は1856年(安政3年)開設時の所在地に建立されています。