大手門(三の丸大手門)は江戸城の正門で、諸大名はここから登城し三の丸に入りました。勅使の参向、将軍の出入りなどもこの門から行うのが正式だったそうです。
現在は皇居東御苑のメインゲートとなっています。
高麗門と渡櫓型の櫓門で構成された典型的な枡形門の形式で、櫓門は桁行22間(40m)、梁間4間2尺(7.9m)という大きさです。
徳川家の居城の正門だけあって、ここの警備は厳重をきわめ、10万石以上の譜代諸侯がその守衛にあたっていました。
番侍10人(うち番頭1人、物頭1人)がつねに肩衣を着て、平士は羽織袴でひかえ、鉄砲20挺、弓10張、長柄20筋、持筒2挺、持弓2組をそなえ警戒にあたっていたそうです。
(いまも厳重に警備されていますね)
1607年(慶長12年)に藤堂高虎によって1年3ヶ月ほどかけてつくられましたが、その後何度も焼失し、再建されています。
1620年(元和6年)の江戸城修復に際には、伊達政宗や相馬利胤によって再建され、現在のような桝形門になったといわれています。
高麗門をくぐると枡形になっていて、右に折れると大きな櫓門が構えています。
角のスペースに渡櫓の屋根を飾っていた鯱が展示されています。
この鯱は刻印に「明暦三丁酉」とあり、明暦の大火(1657年)で焼失した後、1659年(万治2年)に大手門が再建されたときのものと考えられています。
旧大手門渡櫓の鯱
1945年(昭和20年)4月、戦災で消失した旧大手門渡櫓(わたりやぐら)の屋根に飾られていた鯱(しゃち)です。頭部に「明暦三丁酉」と刻んであることから、明暦の大火(1657年)で消失した後、再建された際に製作されたものと推定されます。今の大手門渡櫓は1968年(昭和43年)に再建されたものです。Watari-yagura-no-Shachi of the old Ote-mon gate
The stylized dolphin used to be the roof finials of watari-yagura (a building for storage and defense) of the old Ote-mon gate which was damaged in World War II, April, 1945. The date carved on the head suggests that the fish was made after the gate was destroyed in the conflagration of 1657. The present watari-yagura building of Ote-mon gate was reconstructed in 1968.
現在の渡櫓門は皇居東御苑の開園に合わせて、1968年(昭和43年)に木造復元により再建されたものです。