北の丸公園の入口になっており、日本武道館のそばにある田安門は江戸時代初期の1636年(寛永13年)に建てられた門で、江戸城の総構えが完成した当時から残る唯一の遺構です。
もともとこのあたりは「田安口」または「飯田口」ともいい、上州方面への道が通じていたといわれており、田安明神(現在の築土神社)があったことから田安門と名づけられたそうです。
門ができて、江戸城内になってからは北の丸となり、代官屋敷や大奥に仕えた女性の隠遁所となりました。千姫や春日局、徳川家康の側室で水戸頼房の准母英勝院の屋敷などもこの内にありました。
内側の櫓門、そして桝形です。
田安門といえば、田安家(田安徳川家)も忘れてはいけません。
徳川8代将軍である徳川吉宗は1730年(享保15年)、次男・宗武を家祖として田安家を興しました。宗武の子である松平定信はここで生まれています。
田安家は御三卿として一橋家や清水家などほかの2家とともに、徳川将軍家に後嗣がないときは将軍の後継者を提供する役割を担い、また、徳川御三家へ後継者を供給することにもなっていました。
重要文化財旧江戸城 田安門(たやすもん)
昭和36年6月7日指定
江戸城は、長禄元年(1457)に太田資長(道灌)によって創られたとされる。天正18年(1590)徳川家康の居城となり、文禄元年(1592)から大規模な改修が実施され、慶長12年(1607)に天守閣が、寛永13年(1636)に総構(そうがまえ)が完成し、大城郭としての形が整えられた。その後、明暦3年(1657)をはじめ、数度の大火に見舞われものの、城郭の規模は幕末までほぼ維持された。
田安門は、北の丸北部に位置する枡形門(ますがたもん)であり、正面の高麗門(こうらいもん)と、その右手奥の櫓門(やぐらもん)からなる。門の創建年代は明らかではないが、現在の門は高麗門の扉釣金具に残る刻銘から寛永13年に建てられたものであると考えられている。しかし、櫓門の上部は破損のため大正末期から昭和初期にかけて撤去されていたものを、昭和36~41年度の修理で復旧整備したものである。田安門は、江戸城の総構完成当時に遡る現存唯一の建物であり、高い価値を有している。Tayasu Gate of the former Edo Castle
Edo Castle (Edo-jo) was built in 1457. Tokugawa Ieyasu who founded the Tokugawa Shogunate of Japan (1603-1867) started using it as a base in 1590. In 1592, he began large-scale reconstruction work to develop the castle as his residence and administration centre.
Tayasu Gate (Tayasu-mon) is located at the north part of the north citadel (kitanomaru). It consists of several parts, including a Korai-mon style outer gate, a Yagura-mon style inner gate, and highly-stacked stonewalls, which from a defensive narrow square.
An inscription on the outer gate states that Tayasu Gate was built in 1635. It is of high national value as the oldest existing building at the former Edo Castle. Tayasu Gate has been protected by the national government as Important Cultural Property since 1961.
また、大田道灌時代、江戸城の合戦場はこのあたりであったといわれています。