今井城は今井四郎左衛門尉経家の居城です。今井氏は武蔵七党の児玉党出身とされ、経家のあとも数代にわたって本拠としましたが、天正年間(1573年~1592年)に北条氏に滅ぼされました。1967年(昭和42年)におこなわれた青梅市教育委員会による調査では、1312年(正和元年)から1512年(大永2年)頃の板碑などが出土し、中世城郭であることが確認されました。また築城時期についても鎌倉時代後半から室町時代中頃までにあった居館を、今井氏が改修して築城した可能性が指摘されています。現在城址は周辺は宅地化されているものの、本丸跡には土塁や二重の空堀などの遺構が良好に保存されています。
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アイヌ民族についてこれまで「シャクシャインの戦い」「地図で見るアイヌの歴史」を読んできましたが、もっと知りたいと思いこの著書を手に取りました。この著書にはアイヌと認識される前の北海道に付いても記載があり、北海道式古墳というものがあることを北海道に22年間住んでいたにもかかわらず初めて知りました。現在の歴史の教科書にも記載のあるシャクシャインの戦いに対して弘前藩も出兵をしており、アイヌ勢と直接戦うことはなかったが、その当時弘前藩内には津軽アイヌの方々が生活しており、彼らは出兵の手助けをしたり、更に兵として参加していたという記録があるそうです。明治以降は日本とロシアとの政治的駆け引きに翻弄されるアイヌ民族を目の当たりにすると共に、この日本も決して単一民族国家では無いことを再認識させられる一冊でした。
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