赤穂城
赤穂城

[兵庫県][播磨] 兵庫県赤穂市上仮屋


  • 平均評価:★★★★☆ 3.50(63位)
  • 見学時間:1時間14分(39位)
  • 攻城人数:2664(48位)

大手門

赤穂城の大手門です。
内側の櫓門はありませんが、外側の高麗門は復元されています。

この高麗門は1955年(昭和30年)に再建されました。

内側から見た高麗門です。

高麗門を入ると右に折れ曲がる、いわゆる枡形虎口となっています。

城内に入ってすぐのところにある番所跡には現在、休憩所が建てられていて、中に説明がありました。

大手門枡形
 赤穂城の表虎口(おもてこぐち)である大手門は、石垣を方形に積上げた枡形と高麗門、櫓門の二重の城門を備えた最も厳重な枡形門であった。枡形は打ち出す兵を待機させたり、敵兵を閉じ込めて攻撃するためのもので、その規模は長辺10間(約19.8m)、短辺6間(約11.8m)、面積234m2である。現在ある高麗門は、隅櫓、土塀(どべい)とともに昭和30年(1955)に再建されたものである。
 枡形石垣は、明治19年(1886)にその形状を大きく改変され、その後周辺は赤穂大石神社の境内となっていたが、文化庁の国庫補助事業によって公有化が図られ、平成15年(2003)に石垣の修復及び周辺整備が完成した。
 発掘調査によって、枡形石垣、櫓門跡、番所跡、上水道施設、排水枡、大石内蔵助屋敷土塀石垣など多くの遺構が見つかっている。櫓門は、幅4間半(約8.9m)、奥行2間(約4m)であったことが明らかとなり、新たに板石を埋め込んで礎石(そせき)の位置を示している。また、門の前後では川原石を並べた霰敷き(あられじき)の雨落ち(あまおち)施設も見つかっている。この休憩所は、発掘調査で検出された番所跡の位置に、ほぼ同規模の番所を模して建てられたものである。当時、番所には門番として足軽3名、下番2名が詰め、大手門の警護にあたっていた。
   

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今日のレビュー

新編 名宝日本の美術 (21) 友松・山楽 (小学館ギャラリー)

書いてあることの半分も理解できていないけど、狩野山楽について丁寧に紹介されている。「京狩野すごい」や「山楽は天才」というありきたりなスタンスではなく、むしろ「ほかの狩野派の面々が永徳の才能にひれ伏して早々に別のスタイルを模索したのに対して、山楽は最後まで永徳に追いつかんともがいた人」としてちょっと不器用な人扱いになっている。だけど、だからこそ寛永期の二条城改修において曲がりなりにも永徳様式で障壁画を描けたのは山楽だけだという評価にもつながっていておもしろい(「松鷹図」のことです)。
図版も多数収録されており、図版と評論で二度楽しめます。海北友松のパートは勉強不足でまだちゃんと読めてないです。

こうの)

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