清水門は別名「川口門」とも呼ばれた門で、いわゆる『忠臣蔵』で知られる刃傷事件後の赤穂城明け渡しの際には、大石内蔵助がこの門から城を出たといわれます。
門外には熊見川沿いに米蔵・薬煙場・番所などがあり、米蔵のあった場所には現在、赤穂市立歴史博物館が建てられています。
赤穂城・清水門跡(しみずもんあと)
この門は幅二間二歩、奥行七尺七寸、建坪四坪のもので、「赤穂城引渡一件」文書では、川口門ともいわれた。
門を出ると板橋があり、附近には蔵屋敷(米蔵)、川口番所、御薬煙場があった。
門の内側には、敵兵の直進を防ぐために蔀(しとみ)が備えられ、また、門の南の石塁と二之丸東北櫓との間の二之丸堀には、六間一尺五寸の柵も設けられていた。
なおこの門は、開城後の大石内蔵助が元禄十四年(一七〇一年)四月十九日に、幕府へ城明渡しの後、名残を惜しみつつ退城したことで有名な門である。赤穂義士会