本丸門の前、二の丸庭園前に大石頼母助屋敷門が復元されています。
この薬医門は2009年(平成21年)3月に発掘調査の結果に基づき、復元されました。
大石頼母助は浅野時代、二の丸に唯一屋敷を構えていた家老です。
その屋敷の一角には謫居させられた山鹿素行が暮らしていたこともあります。
大石頼母助屋敷門(おおいしたのものすけやしきもん)
- 構造形式
- 薬医門(一間一戸潜門付)
- 木造 切妻造 本瓦葺
- 主要寸法
- 桁行三・一八m 梁間一・九一m
- 軒高二・八八m 棟高四・五五m
大石頼母助良重(よししげ)は、大石内蔵助良雄(よしたか)の大叔父にあたる人物で、家老職にあった。藩主浅野長直(あさのながなお)に重用され、二之丸に屋敷を構え、その妻は長直の娘を迎えた。山鹿素行(やまがそこう)が赤穂に配流(はいる)された際、素行はこの屋敷の一角で八年余りを過ごしたという。平成十〜十三年にかけて実施された二之丸庭園の発掘調査によって、頼母助屋敷の門跡のほか土塀基礎石列、建物礎石、上水道遺構などが見つかった。門は、発掘調査によって見つかった遺構に基づきその規模及び構造が検証され、薬医門(やくいもん)形式の屋敷門として平成二十一年三月に整備された。赤穂市・赤穂市教育委員会
工事は、2008年(平成20年)10月3日に着手、12月より基礎工事がはじまり、2009年(平成21年)1月になって現場組み立てが行われ、3月25日に完成しました。
薬医門部分の規模は、桁行3.182m、梁間1.909m、軒高2.757mを測り、平葺面積は27.50m