厩口門は本丸にあった3つの門のひとつで、森家の時代には「台所門」と呼ばれていました。
廃城後に破却され、門跡だけが残っていましたが、2001年(平成13年)に復元されました。
厩口門(うまやぐちもん)(台所門(だいどころもん))
浅野家時代には「厩口門」、森家時代には「台所門」と呼ばれていた。廃城後に失われ、後には県立赤穂高等学校の通用門として周辺石垣も改変されていた。
- 構造形式
- 高麗門 木造 切妻造 本瓦葺
- 主要寸法
- 桁行三・八五m 梁間二・七三m
- 軒高四・六六m 棟高六・一三m
平成八年(一九九六)に実施した発掘調査によって、門の礎石(そせき)・地覆石(じふくいし)などが良好な状態で見つかり、高麗門(こうらいもん)形式の門であったことが判明した。また、絵図史料などから、本丸門の高麗門と同規模であったことが分かっており、発掘調査ともよく合致(がっち)している。これらの資料をもとに、平成八〜一三年(一九九六〜二〇〇一)に門、橋、土塀及び周辺石垣が復元整備された。また、門に向かって左の石垣は曲面を描き、さらに横矢枡形(よこやますがた)を設けるなど、その縄張(なわばり)は大きな見所となっている。赤穂市・赤穂市教育委員会
城内側から見た厩口門です。