赤穂城には立派な天守台がありますが、一度も天守は築かれませんでした。
この天守台は築城当時のもので、1937年(昭和12年)に石垣隅角部の崩壊箇所が修復され、さらに1985年(昭和60年)には登り階段が修復整備されています。
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天守台の上はきれいに整備されています。
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天守台からは本丸全体を見渡すことができます。
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赤穂城に天守が築かれなかったのは、天守を必要とする時代ではなかったことに加え、13年におよぶ築城工事や京都御所の玄関造営を幕府に命じられたことなどにより藩の財政が厳しかったことも理由です。
この高さ9.2mもある天守台は彦根城(4.5m)や松本城(4.4m)などよりもはるかに大きなものです。
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