東大手門は二条城の正門で、江戸時代前期の1662年(寛文2年)に造られました。
造営直後、寛永3年(1626)の行幸の際には後水尾天皇もこの門から入城されました。当時の門は単層で、高麗門だったそうです。
現在の形式は櫓門で、屋根は本瓦葺で入母屋造り、妻は木連格子、棟には鯱が飾られています。
門幅13間におよぶ勇壮かつ重厚な門で、国の重要文化財に指定されています。
(石垣より上の部分が寛永行幸後の増築部分)
堀川通に面しており、現在も観光客の入城用の門として利用されています。
城内から見た東大手門です。
入口(外側)にある案内板です。
説明
舊二条離宮はもとの二条城を以て之に充てられたるものにして昭和十四年十月離宮を廢止せられ特別の思召を以て京都市に下賜あらせたり
二条城は慶長年間徳川家康の築造に係る
徳川家光寛永三年九月 後水尾天皇の行幸を仰ぎたり 慶應三年十月徳川慶喜此の城より上表して大政を奉還せり
明治元年正月朝廷此の城を收めて大政官代と爲し又明治四年六月京都府廳此處に置かるるや同五年六月及同十年一月の兩度 明治天皇臨幸あらせられたり
明治十七年七月離宮と定められ二条離宮と稱せらる明治二十八年五月 明治天皇の行幸あり 大正四年十一月 大正天皇即位禮の際當城内の大饗宴場に行幸あらせられたり
城構は平城に屬し本丸、二之丸等より成り周圍には濠を繞らし本丸には天守臺、石垣等よく舊規模を存し其の郭内には明治二十六年舊桂離宮邸より移築せる御殿あり二之丸には宏壯雄大なる二之丸御殿ありて其の結構比類罕なり
注意一、火氣に注意する事
一、壘濠其の他工作物の毀損破壊を爲さざる事
一、濫に樹木の伐採及栽植を爲さざる事
一、其の他指定地域内の現状変更を爲さざる事
昭和十五年三月文部省