大久保ヤマト先生による二条城の歴史を描いたマンガです。
二条城の歴史というと徳川家康の築城、大御所・秀忠と三代将軍・家光による寛永行幸、そして幕末の大政奉還がおもだったシーンとして紹介されることが多いのですが、今回は現在に残る二の丸御殿をはじめとする貴重な建築遺構がどのように守られてきたのかを描いていただきました。
マンガでわかる二条城
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知ってるとより楽しめるかもしれないうんちく
以下、マンガに登場する固有名詞などについて補足したほうがより楽しめるかなと思ったことをまとめます。あわせて読んでくださいね。
後水尾天皇と幕府との関係
後水尾天皇は「禁中並公家諸法度」の公布など幕府主導で物事が進められることに不快感を示して譲位しようとするなど、けっして両者の関係は良好ではありませんでした。しかし寛永行幸において後水尾天皇は天守に二度も上がったり(当初の予定では1回)、自らが滞在中に使用した行幸御殿をのちに仙洞御所に移築したりと、嫌々行幸したとはとても思えなかったので、このマンガでは両者の対立や、幕府側の威圧的なシーンを描くことはしませんでした。本編にあるとおり和子(東福門院)の存在も関係改善に大きく貢献したと思います。
しかし行幸の翌年には幕府の規制を無視して後水尾天皇が紫衣着用の勅許を与えたことにより、いわゆる「紫衣事件」が起こります。その結果、朝幕関係は深刻な状況を迎えることになるのですが、それはまた別の話。
池田長惠と松平信道
京の大半が延焼し、二条城においても本丸御殿などの建物が焼失した「天明の大火」ですが、このときに活躍したのが池田長惠(ながしげ)と松平信道です。
京都東町奉行・池田長惠はこのとき災害に便乗して米を高値で売ろうとする米屋を即日捉えて打首、獄門の刑に処しています。「暴虎(ぼうこ)」や「猪武者」と呼ばれた長惠ですが、彼のように豪腕で仕事を進める人間が奉行をつとめていなければ、二条城の被害はさらに大きなものとなっていたことでしょう。
また亀山藩主・松平信道はマンガのとおり二条城の消火活動にあたったのちに御所(禁裏)へ向かいます。御所に入るには本来下馬せねばならないのですが、信道は緊急の事態であると騎馬のまま火災現場に入り、光格天皇を背負って見事救出しています。このとっさの機転が評価され、信道は奏者番と寺社奉行を兼務するまで出世しました。