この説はまちがっている可能性があることを聞いたので、その点を踏まえてお読みください。
京都の町割りはいわゆる「条坊制」と呼ばれるように碁盤の目状に配置されており、これは平安時代から現代までつづいています。
(道路は必ずしも一直線ではないんですけどね)
ただ、二条城についてはこの碁盤の目から少しズレていて、東に3度ほど傾いています。地図で見ると一目瞭然です。
これは設計ミスではなく、徳川家康が当時、西洋から伝わったばかりのコンパス(方位磁石)を使ったために起こったズレなのです。
平安京は北極星の位置を目印に北を定めました。これを「真北(しんぽく)」といいます。これは現在の地図が指す北と同じです。
一方、コンパスが指し示す北は「磁北(じほく)」といい、地磁気の影響を受けて「真北」とは数度ズレています。
この現象は江戸時代の建造物にはわりとよく見られるそうで、藤堂高虎が「大坂夏の陣」で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るため寄進したとされる南禅寺の山門もほぼ同じ角度で傾いています。
二条城大手門の前にある堀川通りから堀を一周すると、ズレが実感できるかもしれません。