二条城の西側、美福通沿いにある西門は、江戸時代前期の寛永年間(1624年〜1643年)に造られた門であると推測されています。
大政奉還を発表したとき、徳川慶喜がこの西門から城外に出たそうです。
重要文化財 西門(にしもん)
寛永3年(1626年)頃に建設され、江戸時代は二条城の通用門として使われた。天明8年(1788年)の大火で周辺の櫓門等が焼失し、明治以降には外堀にかかる木橋も失われ、今ではこの西門だけが残る。門の上に立つ土塀と石垣に囲まれることから「埋門(うずみもん)」と呼ばれるが、屋根だけを見れば「高麗門(こうらいもん)」である。高麗門とは、死角をなくすために屋根をできるだけ小さくした門で、柱の上にしか屋根はない。この門を突破されても、正面に櫓門が待ち受け、敵をその2階や石垣の上から攻撃することになるが、その際、屋根が邪魔にならないように考えられた造りである。
西門を見学することができます
西門の城内側は枡形虎口になっているのですが、通常は非公開エリアとなっています。
ただし二条城がやってる公式ガイドツアー(1000円)の参加者は見学可能です。
枡形内は石材などが雑然と置かれているのですが、それがかえって時間が止まったようにも感じられます。
西門の内側です。
この西門の柱には珍しいものが残っています。それが門番による落書きです。
葵の御紋のような図形や、「文久二年」と読める文字が書いてあります。
おそらく徳川家光がこの西門をつくった頃には考えられなかったと思いますが、幕末ともなると二条定番もゆるんでいたのかもしれませんね。