二条城
13 二条城

[京都府][山城] 京都府京都市中京区二条城町541


  • 平均評価:★★★★☆ 3.74(38位)
  • 見学時間:1時間32分(59位)
  • 攻城人数:1599(7位)

二条城の天守(天守台)

現在、二条城には天守がありませんが、天守台は残っています。
かつてはここに天守がありましたが、1750年(寛延3年)に落雷で焼失して以来、再建されませんでした。

本丸から天守台に上がることはできます。

天守閣跡
 二条城の天守閣は、寛永三年(一六二六年)に伏見城から移築されたもので、五層の天守が建てられていましたが、寛延三年(一七五〇年)に落雷により焼失し、再建されること無く現在に至っています。
 現存する天守台は、高さ二一米、天守台上の敷地四四五平方米あります。 元離宮二条城事務所

石段はかなり急です。この石段は当時のものではなく、あとからつくられたようです。

天守台はそれほど大きくはありませんが、広さは445m2だそうです。

天守台から見た本丸です。

天守台から見た内堀です。奥に見えるのは桃山門です。

こちらは内堀越しの西南土蔵です。その奥には西南隅櫓があるのですが、木がさえぎっていて見えませんね(肉眼でもなんとか見える程度です)。

西橋から見た内堀と天守台です。天守台の高さは21mあります。

過去の二条城の天守

創建時の天守は、『洛中洛外図屏風』に城の北西部分(現在の清流園のあたり)に望楼型の5重天守として描かれています。
この天守は1606年(慶長11年)に徳川家康によって建てられたもので、大和郡山城天守の移築説があります。記録には小天守や渡廊下の記述があり、天守曲輪を形成していたと考えられます。
大和郡山城天守の移築説については建築学的には否定されていましたが、大和郡山城と淀城の天守礎石位置が酷似していることから近年は信ぴょう性が高まっています)

なお、この天守は3代将軍・徳川家光のときに行われた寛永の大改修時に淀城にふたたび移築されました。
(移築された淀城天守は図面が残されているので、慶長度天守の復元は可能だそうです)

その際に築かれたのが現在の本丸の南西隅にある天守台で、1624年(寛永6年)に伏見城の天守を移築改造し、複合式層塔型5重5階(独立式の説もあり)の天守を上げました。
伏見城が選ばれたのは地理的に近いだけでなく、前年の一国一城令によって廃城となっていたことも関係していると思われます。

この寛永期天守は天皇が昇った唯一の天守でしたが、前述のとおり、1750年(寛延3年)に落雷で焼失しました。

なお、幕末には天守台に高層の火の見櫓が建てられていたことが、古写真よりわかっています。

   
この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)
二条城の天守(天守台)についてのクチコミ

じっさいに訪問して感じたことや補足の情報があれば、ぜひ書き込んでください!

攻城団のアカウントでログインすることができます ログイン

二条城の城メモ一覧

二条城ガイドツアーのご案内
攻城団では不定期ではありますが、団長こうのがガイドをつとめるガイドツアーを開催しています。ほぼ毎月開催されていますので、日程があえばぜひご参加ください。募集状況は「城たび」のページで確認できます。
城たび(日本全国の名城ツアーガイド)

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る