淀城は江戸時代に徳川秀忠の命により松平定綱が築いた城です。築城に際し、廃城となった伏見城の資材を転用、二条城の天守を移築したと伝えられています。秀忠・家光父子が上洛の際にはこの城を宿舎としたそうです。江戸中期には春日局の子孫である稲葉正知が入城し、幕末まで稲葉氏が城主を務めました。幕末には老中である稲葉正邦も城主を務めています。現在は淀城跡公園として整備されており、石垣や天守台が残っています。京阪電車・淀駅のホームから天守台の石垣を見ることができます。
淀城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | 14.1 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | 連立式望楼型 |
天守の階数 | 5重5階、地下1階 |
天守の種類 | 非現存天守 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 一国一城令に基づき、伏見城の廃城を決定、その役割を代替するために徳川幕府は松平定綱に淀城を構築させた。当初は伏見城の天守を移築する予定だったが、天守台が小さすぎたため、代わりに二条城の天守を移築した。その後、この連立式望楼型天守(独立式の説もあり)は1756年(宝暦6年)に落雷により焼失。 |
築城主 | 松平定綱 |
築城開始・完了年 | 着工 1623年(元和9年) 〜 竣工 1625年(寛永2年) |
廃城年 | 1871年(明治4年) |
主な改修者 | 永井尚政 |
主な城主 | 松平氏、石川氏、稲葉氏他 |
遺構 | 石垣、堀、天守台、本丸跡、二の丸跡等 |
指定文化財 | |
復元状況 | 城郭は(淀城跡公園) |
更新日:2021/01/22 13:59:40
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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