伊賀上野城
伊賀上野城

[三重県][伊賀] 三重県伊賀市上野丸之内106


  • 平均評価:★★★★☆ 3.76(32位)
  • 見学時間:1時間12分(46位)
  • 攻城人数:3144(29位)

伊賀上野城の天守

伊賀上野城に最初に天守が築かれたのは、大和郡山城から移ってきた筒井定次の時代です。
この「筒井古城」は、現在の城址の東側石垣上にあり、そのさらに北東隅の高台に3重の天守が築かれましたが、天守は大和郡山城から移築されたものでした。
現在、天守があった位置には「筒井天守跡」の石碑があります。

関ケ原の戦いで定次は東軍の徳川家康方についたこともあり、本領を安堵され、伊賀上野藩を立藩しましたが、徳川幕府による大坂城包囲網を形成するため、1608年(慶長13年)6月に領地を没収されることになります。

同年8月にかわって入城したのが築城の名手と謳われる藤堂高虎で、高虎は1611年(慶長16年)の正月から伊賀上野城を大幅に改修し、2代目の天守が築かれました。
この天守は複合式層塔型5重5階の天守でしたが、翌1612年(慶長17年)9月2日に台風により崩壊しました。
なお、当初は元いた今治城の天守を移築しようとしたものの、天下普請となった丹波亀山城に献上したため新規に天守を建設したといわれています。

筒井定次時代の伊賀上野城は大坂城を守るための出城としての役割を担っていたのに対して、藤堂高虎時代は大坂城を攻めるための城という、まったく正反対の立場をとった城となりました。

その後、1614年(慶長19年)、1615年(元和元年)の大坂の役により豊臣氏が滅亡したため、伊賀上野城の戦略的な重要性が低下したため、天守は再建されませんでした。
高虎も交通の便がいい津城を本城とし、伊賀上野城を支城としています。

現在の模擬天守は1935年(昭和10年)に衆議院議員であった川崎克氏が私財を投じて建てたもので、正式には「伊賀文化産業城(いがぶんかさんぎょうじょう)」といいます。
コンクリート建築の案もあったそうですが、川崎氏の純和風への強い要望もあり、木造瓦葺きで建てられました。

3重3階の層塔型大天守に2重2階の小天守が渡り廊下でつながった連結式天守は、筒井定次時代の天守とも藤堂高虎時代の天守とも異なるため、史実に基づかないことから模擬天守の扱いになります。
ちなみに木造による模擬天守としては、1933年(昭和8年)に建てられた郡上八幡城がもっとも古いものです。

 慶長十三年(一六〇八)八月、藤堂高虎は伊賀の国十万石、伊勢の国の内で十万石、伊予の国の内で二万石に移封となった。
(のち三十二万三千九百五十四石余となる)
 移封は、徳川家康の信任が厚かったのと、紀伊や大和の反勢力の押さえと築城の名手でもあり、目前にせまる豊臣家討伐に備えたもので、慶長十六年(一六一一)正月、上野城の本丸を西に拡張、高さ約三十メートルという高石垣をめぐらした。
 建設中の五層の天守閣は、慶長十七年(一六一二)九月二日、当地を襲った大暴風で倒壊、その後、慶長十九年(一六一四)の大坂冬の陣、元和元年(一六一五)の夏の陣と徳川方の勝利に終わり、幕府は諸大名の城普請を厳しく禁止したので上野城の天守閣は再建されなかったが、伊賀の国の城として明治まで城代家老を置いて存続した。
 現在の天守閣は、当地出身の政治家川崎克氏が、熊野の山林家奥川吉四郎等の協力を受け、また自らが愛蔵する古美術品を売却して復興資金を調達、昭和十年(一九三五)十月十八日に落成、伊賀の産業陳列館として「伊賀文化産業城」と名付けられたが、優雅な姿から白鳳城(はくほうじょう)と呼ばれて親しまれている。

この模擬天守は1985年(昭和60年)3月18日に伊賀市有形文化財に指定されました。
また、高虎時代の5重5階の天守がのる天守台に3重天守を建てたために、天守台敷地の半分程度しか使用していません。

模擬天守内には、藤堂高虎の黒漆塗の兜などが展示されています。
伊賀の城ということもあり、演出として壁に忍者の人形が飾られています。

3階の天井には、横山大観らの色紙46枚が張られています。

上野城の沿革
 慶長13年(1608)藤堂和泉守高虎が、伊賀・伊勢の地へ転封、大坂城の豊臣秀頼に対する拠点の城として、慶長16年正月、筒井氏の城を西に拡張、その時日本一高いといわれる高石垣を築いた。

 翌17年9月、当地を襲った台風により五層の天守閣は倒壊、大坂夏の陣で徳川方の勝利に終わったので天守閣の再建はされなかったが上野城は伊賀国の城として存続、城代家老が置かれて明治まで存続した。

 今の天守閣は昭和10年(1935)10月、地元の名士川崎克氏により復興、伊賀文化産業城と称した。
 天守閣一階には甲冑・武具・伊賀焼を展示、二階には天守閣復興者川崎克氏の書画や伊賀焼・藩主藤堂家の調度品などを展示。
 三階には横山大観をはじめとする有名人の書画46点の大色紙が格天井に飾られている。

模擬天守前には顔ハメ看板がありました。

   

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