別名 丹波亀山城、亀岡城、亀宝城、荒塚城、霞城

丹波亀山城は織田信長の命を受けた明智光秀によって、丹波統治の拠点として築かれた城です。「本能寺の変」の際に、光秀が出陣したのもこの城でした。山陰道の入口にあたる要衝であるため、豊臣秀吉や徳川家康にも重要拠点として活用されました。家康は譜代大名である岡部長盛を入封させ、さらに天下普請により西国大名に命じ近世城郭として修築させています。このときには築城の名手と謳われる藤堂高虎が縄張りを担当しました。現在、遺構はほとんど残っていません。天守台の石垣も積み直されたものです。唯一、城門(新御殿門)が千代川小学校に移築されています。なお伊勢の亀山と紛らわしいので、明治になってからこの土地の地名を亀岡と改めることになり、城の名前も亀岡城とされました。この判断には1868年(慶応4年)の戊辰戦争で伊勢亀山藩は新政府側につき、丹波亀山藩は幕府側についたため、敗れた丹波のほうが改名させられることになったそうです。
亀山城を訪問した1028人の報告によれば、平均見学時間は58分、平均評価は3.20点となっています。
亀山城は亀山藩の藩庁です。
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117 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
5重5階
25 m
6 m
886.21 m2
明智光秀によって3重3階の天守があげられたが、1593年(文禄2年)に小早川秀秋によって5重5階に改築された。この天守のその後については不明であるが、明治5年(1872年)に撮影された天守は慶長14年(1609年)以降に建てられたものと思われる。なお、今治城天守を移築したという説もあるが詳細は不明。天守は1877年(明治10年)に解体された。
明智光秀
着工 1577年(天正5年) 〜 竣工 1578年(天正6年)
1877年(明治10年)
岡部長盛
明智氏、羽柴氏、石田氏、岡部氏
石垣、堀
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更新日:2026/07/17 03:35:32
亀山城の見所や歴史などを紹介します。
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可
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訪問レポートなど、これまで攻城団に公開された関連記事の一覧です。
江戸城天守を再建する会の特別顧問をされている三浦正幸先生が書かれた著書で三浦先生のお話は講演会等でよくお聞きしているので、お城の構造について勉強したく手に取りました。前半は天守の外壁、窓、狭間、石落、そして基本的構造について詳細に解説されており、外壁の仕上げ、屋根、破風の形に格式の上下があることを知り、今後天守の見方が変わるように思えました。後半は現存12天守、失われた天守の詳細説明がされています。熊本城の宇土櫓が第一期普請で建てられた初代天守であることを初めて知りました。この一冊で天守の構造に付いてほぼ網羅していると思いますので、天守の構造について詳しく知りたい人にはお勧めです。なお、続編として「櫓・城門編」もあるようですのでそちらも読んでみようかと思います。
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