亀岡城の城下町には門跡や櫓跡など多くの案内板が設置されています。
古世門跡です。
丹波亀山城古世門跡
亀山城下の内外は 内堀外堀惣堀の御堀と御土居で仕切られ城内から各方向に五つの城門が配置された。
この付近には「大手門」から東よりに位置する南方面への出入り口としての城門「古世門」があった。
桜の馬場跡。
桜の馬場跡(馬見所)
この付近は寛政五年(一七九三)の山陰丹府桑田亀山図では馬見所と騎射組が置かれ 桜の馬場と記されている 馬廻り関係の藩士の居住区であった
火の見櫓跡。
丹波亀山城 火の見櫓跡
火の見櫓とは 櫓に鐘をつり 火災非常時に鐘を撞いて知らせる施設で 亀山城下では 元禄九年(一六九六)に呉服町のこの付近に建てられていた。
高札所跡。
丹波亀山城高札所跡
高札とは現在の法律や罪人の罪状などを記して掲げた板札で 一般民衆へ周知する為 交通の要所に立てられた
亀山城下では 大手門へ向かう街道筋のこの付近に高札を立てる高札所があった
魚屋町や呉服町など、地区や通りの名前にも当時の名残があります。
魚屋町
城下町を形成する為 周辺の村々から商工を営む人々を移住させて作った
魚屋の住所からの命名であると伺えるが 元は下矢田村であった
御館跡。
なお、このときに建てられた御館の長屋門は旧亀山城内新御殿門として千代川小学校に移築されています。
御館跡
この付近に 亀山城内の本丸御殿が手狭なため 藩主の居館として御館が設けられた 対面所として典型的な大名屋敷で
一、建坪 七七二坪
一、表の間 五九〇畳
一、奥の間 一七四畳
であった
御勘定所跡。
御勘定所跡
この付近は寛政五年(一七九三)の山陰丹府桑田亀山図では御勘定所と記され 文政十二年(一八二九)の亀山藩職員録には
勘定所大目付一名
勘定所十九名
とあり 藩の財務会計を担当した勘定所があった
これは一部だけですので、市内を歩けばほかにも見つかると思います。
こういうのは親切でいいですね。