亀岡城跡に設置されている案内板の内容を紹介します。
大本・天恩郷(丹波・亀山城址)
亀山城址は、現在、(宗)大本の境内地となっています。歴史は古く天正三年(一五七五)織田信長から丹波攻略を命じられた明智光秀がこの地に城を築いたことに始まります。丹波を平定したものの、ここから兵を進めた同十年の「本能寺の変」はあまりにも有名です。
慶長十五年(一六一〇)、徳川家康が命じた「天下普請」で藤堂高虎による五層の層塔型天守が出現、亀山城は近世城郭として完成し、亀山藩ができます。その後は、京都に隣接する山陰道の要衝として栄えました。
明治維新で藩は亀山県になり、明治十一年(一八七八)頃亀山城は取り壊されます。建物の一部は寺院の山門などに再利用石垣は京都鉄道(現・トロッコ列車)の鉄道工事用石材として大量に転用されたといいます。
大正八年(一九一九)、転売を経て荒廃した土地を大本が購入、石垣を積直し神苑として整備、「大道場」を開設しました。大正と昭和の大本弾圧事件で、敷地を没収され廃墟と化しますが、返還され今に至っています。
(受付申込みで城址の一部が見学できます)