織田信長の叔父が開山した専念寺の本堂には徳川秀忠、家光、家綱の三代にわたる将軍の位牌が安置されています。
専念寺
天正二年(一五七四)、玉蓮を開基として創建され、寺号も玉蓮寺と呼ばれました。その後、織田信長の外護を受けて、黒谷金戒光明寺(くろだにこんかいこうみょうじ)の二十一世を勤めていた信長の叔父でもあった源蓮社性譽上人(げんれんしゃしょうよしょうにん)あ、天正四年(一五七六)十月に金戒光明寺の仏を遷座して本尊として里人の教化に努められたことから、性譽上人を開山としています。
天正二十年(一五九二)には、亀山城主小早川秀秋から二石の寄進を受けた亀山五箇寺の一つに列しました。寛文十年(一六七〇)には、亀山藩主大給松平忠昭の菩提寺となり寺領二十石の寄進を受けて以後、歴代藩主の庇護を受けました。さらに、城下に起こった大火の類焼により堂宇が焼失しましたが、貞享四年(一六八七)に、藩主久世出雲守重之(くぜいずものかみしげゆき)から木材の寄進を受けて七間四面の堂宇が再建されました。
また、本堂には徳川二代秀忠、三代家光、四代家綱の三代にわたる将軍の位牌を安置し祀っていることから、その供養料として歴代亀山藩主から、領内の下矢田村の御高より二十石の寄進を受けました。
このように、当寺は、歴代城主や藩主の庇護を受けた由緒ある寺院の一つです。ひとくちコラム
丹波亀山は、明智光秀の居城といわれていますが、光秀により誅された織田信長にかかわりある寺院として、信長の叔父であった源蓮社性譽上人を開山とする専念寺と、豊臣秀吉の養子となった信長の四男が亀山城主となり、父信長の菩提を弔うために建立した供養塔のある聖隣寺があります。
歴史の不思議な縁を感じさせます。
専念寺の観光情報
住所 | 京都府亀岡市塩屋町54 |
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