聖隣寺には織田信長の供養塔(五輪石塔)があります。
「山崎の戦い」で明智光秀が敗れ、織田信長の四子であり羽柴秀吉の養子となった羽柴秀勝が亀山城に入った際に建立したそうです。
通常は非公開のお寺ですが、6月第一日曜日に行われる毘沙門天大祭・信長公忌の日には境内を見学することができます。
聖隣寺(せいりんじ)
明応二年(一四九〇)に天龍寺の開祖である夢窓国師の五世法孫である至圓周悟禅師(しえんしゅうごぜんじ)により古世町地蔵ノ辻に栖林庵(せいりんあん)として創建されました。天正二十年(一五九二)には亀山城主小早川秀秋より息子の菩提を弔うために米二石の寄進を受けました。また、この時、元丹波国分寺の守護神であり、明智光秀が亀山城を築城した際に城の鎮護のため二の丸に安置されていたものを、当寺の境内に毘沙門堂を建てて城下町の守護神として安置しました。
- 山号
- 護国山
- 宗派
- 臨済宗天龍寺派
貞享三年(一六八六)の大火により現在地に移され再建されました。
山門の袖塀には、狭間が設けられていますが、これは有事の際には同寺が防御線となるのを想定して造られたものといわれています。ひとくちコラム
聖隣寺境内の墓地には、織田信長の供養塔があります。明智光秀が大山崎の合戦で敗れた後、亀岡は豊臣秀吉の支配地となり、亀山城には豊臣氏の重臣が城主或いは城代として配置されます。その中の一人に、秀吉の養子となり羽柴秀勝として亀山城主に配置された織田信長の四男於次丸(おつぎまる)がおり、供養塔はその秀勝が父信長の菩提を弔うために建立したものです。五輪塔には、信長の戒名である「総見院殿一品泰厳大居士(そうけんいんでんいっぽんたいげんだいこじ)」を読み取ることができます。明智光秀が作り上げた亀山城下に相対した織田信長の供養塔があるのも、不思議な歴史の縁を感じさせます。
亀岡市
聖隣寺の観光情報
住所 | 京都府亀岡市東竪町44 |
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