壽仙院(じゅせんいん)はかつて亀岡城の本丸内にあった寺で、前田玄以が城主のときに現在地に移されました。
壽仙院
元亀三年(一五七二)、霊松山浄土寺として創建されたと伝えますが詳細は不明です。明智光秀が厚く帰依した大誉春光和尚(だいよしゅんこうおしょう)を中興開山として亀山城の本丸の地にあり、天正二十年(一五九二)小早川秀秋が息子の一存の菩提を弔うために米二石を寄進した五箇寺の一つとして寺名が壽仙院と改称されました。さらに亀山城主前田徳善院玄以(まえだとくぜんいんげんい)の時、現在地に移されました。
- 山号
- 霊松山
- 宗派
- 浄土宗
境内の裏には元福知山城主の小野木公知(おのぎきんとも)(重勝)の墓があります。公知は豊臣秀吉の大母衣衆(おおほろしゅう)として活躍し、関ヶ原の合戦では西軍に属して丹後の田辺城を占領しましたが、石田三成方の敗戦により細川忠興に城を包囲され、助命と所領安堵を条件に降伏しました。しかし条件が果たされないまま慶長五年(一六〇〇)、当寺で自害をして果てました。ひとくちコラム
当寺の境内には、一九八〇年に制作された高さ七〇センチメートルの手掘りの石仏が十三体安置されています。
また、茶室への路地を進むと、水琴窟が設えてあります。その音色に耳を澄ましてみると、日頃の喧騒をしばし忘れ、心が洗われる心地がします。
壽仙院の観光情報
住所 | 京都府亀岡市本町64 |
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