碑の後ろの石垣上には杉櫓が建っていたようです。
一般客が見学できるのは下半分くらいの範囲です。 駐車場に車を停め、みろく会館で受付をして下さい。 2021/1/17までだった天守台の上への見学期間は3/31まで延長されています。
受付はこの建物内にあります。 2階にはロビーに亀山城の説明パネル、ギャラリーでは10分ほどの映像が見れます。
現在、万祥殿が建っている場所は本丸と二の丸の間の馬出のような曲輪の跡です。 写真の左側が万祥池で右側は現在堀切(切通し)のようになっていますが、かつてはここも水堀だったようです。
本丸と二の丸の間を繋ぐ曲輪跡に建てられています。 現在は東側に橋が架けられていますが、当時はこちら側には橋はなく水堀で隔てられており、入り口は南北に橋や虎口があったようです。
かつては櫓門だったそうです。この門の先が本丸跡です。
一ノ門をくぐったところです。このあたりはかなり改変されているようです。 本来は上段へ登る複雑な虎口があったようです。
かつてはこの上に本丸御殿があり、その奥に天守台と天守がありました。 石垣は明治の廃城により破壊され、大正に入り一度大本教により修復されましたが、今度は昭和初期の大本教弾圧によりダイナマイトによって吹っ飛ばされたり、石材を日本海に捨てられたりと受難続きで当時の物は下から三段目までだと言うことです。
普段はここより上には登れませんが、大河ドラマにあわせて2021/03/31までは見学可能です。 このあたりも改変されており本来の動線とは異なります。
かつての天守と天守台は石垣の上、写真中央付近に建っていたようです。
碑の後ろの石垣上には杉櫓が建っていたようです。
江戸時代に一度台風で倒れ、若木を植え替えたという記録があるそうです。 撮影場所の後ろは聖地であるため写真撮影禁止ですが、天守や本丸御殿跡になります。
本丸下段の南・西・北西には多聞櫓が巡っていたそうです。
本来の場所や形状とは違うのでしょうが、実際の亀山城本丸も下段から上段にある本丸御殿へ登る石段と門が南側についていました。
ここから西側も禁則地となっています。
ここまでは見学できます。 右側の石垣上には首無し地蔵が、その下には触ると安産に御利益があると言う大安石があります。
かつては櫓門だったようでこの先から本丸です。
天守台のあった本丸上段の東端には杉櫓という櫓があったようです。 また、写真左端に見えているスロープは北や東の二の丸からの虎口跡だと思われます。
天守台のあった本丸上段の東端には杉櫓という櫓があったようです。
外堀(南郷池)に浮かぶ中の島です。北側の二の丸にある花明山植物園から渡ることができます。こちらも植物園の一部になっており土塁が残っています。
中央から西側を撮影
外堀に面してる側です。
西端の土塁の上は散策できるようになっています。(先端には石のベンチも)
この正門の南(写真左側)に明智門があったようです。
城址と道を挟んだ亀岡市上下水道部横のテニスコート付近に立っていました。 ただテニスコートや上下水道部、その北の駐車場は南郷池に続く同じ外堀の埋立地で、案内板は間違っています。 ちなみに内堀跡は大本本部の駐車場、みろく会館やその隣の砂利の広場が万祥池と一帯の内堀でした。一段高く木が多いところが曲輪跡(二の丸)だと思ってください。
城址と道を挟んだ亀岡市上下水道部横のテニスコートです。 テニスコートや上下水道部、その北の駐車場は南郷池に続く同じ外堀の埋立地で、案内板は内堀とありますが間違っています。 ちなみに内堀跡は大本本部の駐車場、みろく会館やその隣の砂利の広場が万祥池と一帯の内堀でした。一段高く木が多いところが曲輪跡(二の丸)だと思ってください。
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