横山城は浅井長政によって築かれた城です。「姉川の戦い(姉川合戦)」の前哨戦で浅井氏から横山城を奪った織田信長は、木下秀吉(のちの豊臣秀吉)を城番としました。横山城は小谷城から6〜7kmほどの距離しかないため、信長にとっては重要な前線基地でした。「賤ガ岳の戦い」の際には秀吉はこの城を改修して、長浜城とともに後方基地として利用しましたが、それ以後は廃城となりました。現在、城址は石田山公園として整備されており、登城道はハイキングコースとなっています。山頂からは小谷城や長浜城、そして姉川の合戦跡を眺望できます。堀切や土塁など遺構もきれいに残っています。また、山麓の石田町は石田三成の出生地として知られています。
横山城を訪問した317人の報告によれば、平均見学時間は1時間14分、平均評価は3.25点となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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