岸和田城の天守は羽柴秀吉による紀州征伐ののちに城主となった小出秀政によって築かれました。本格的な5重5階の天守は1597年(慶長2年)に竣工しています。
その後、1619年(元和5年)に松平康重によって改修が行われますが、1827年(文政10年)11月20日、岡部宣勝が城主のときに落雷のため焼失し、以降は再建されないまま明治を迎え、岸和田城は廃城となりました。
現在の3重5階の復興天守は、市民の寄付や旧城主の子孫である岡部氏の要望などにより、1954年(昭和29年)に当時の金額で総工費3460万円をかけて再建されました。3460万円のうち460万円は寄付で集められたそうです。
(設計士は一級建築士・池田谷久吉氏、施工は岩出建設株式会社、工事は1954年1月6日起工、同年11月13日竣工)
その後、1992年(平成4年)には屋根の葺き替えと外壁の塗り替えなどの大改修工事が、総工費3億7801万円かけて行なわれました。
(設計は株式会社比石英二建築事務所、施工は岩出建設株式会社、工事は1991年8月起工、1992年8月31日竣工)
天守内は博物館になっています。
最上階には当時の城下町を再現した模型があります。
廻縁からの眺めもいいです。
ちなみに天守の前にはあるのは「八陣の庭」と呼ばれる庭園です。
1953年(昭和28年)に重森三玲氏の設計でつくられた砂庭式枯山水庭園で、諸葛孔明の八陣法をテーマにしたそうです。