岸和田城
岸和田城

[大阪府][和泉] 大阪府岸和田市岸城町9-1


  • 平均評価:★★★☆☆ 3.48(65位)
  • 見学時間:56分(77位)
  • 攻城人数:2045(83位)

岸和田城の天守

岸和田城の天守は羽柴秀吉による紀州征伐ののちに城主となった小出秀政によって築かれました。本格的な5重5階の天守は1597年(慶長2年)に竣工しています。
その後、1619年(元和5年)に松平康重によって改修が行われますが、1827年(文政10年)11月20日、岡部宣勝が城主のときに落雷のため焼失し、以降は再建されないまま明治を迎え、岸和田城は廃城となりました。

現在の3重5階の復興天守は、市民の寄付や旧城主の子孫である岡部氏の要望などにより、1954年(昭和29年)に当時の金額で総工費3460万円をかけて再建されました。3460万円のうち460万円は寄付で集められたそうです。
(設計士は一級建築士・池田谷久吉氏、施工は岩出建設株式会社、工事は1954年1月6日起工、同年11月13日竣工)

その後、1992年(平成4年)には屋根の葺き替えと外壁の塗り替えなどの大改修工事が、総工費3億7801万円かけて行なわれました。
(設計は株式会社比石英二建築事務所、施工は岩出建設株式会社、工事は1991年8月起工、1992年8月31日竣工)

天守内は博物館になっています。

最上階には当時の城下町を再現した模型があります。

廻縁からの眺めもいいです。

ちなみに天守の前にはあるのは「八陣の庭」と呼ばれる庭園です。
1953年(昭和28年)に重森三玲氏の設計でつくられた砂庭式枯山水庭園で、諸葛孔明の八陣法をテーマにしたそうです。

   

この記事をいろんなキーワードで分類してみましょう。

この記事のURLとタイトルをコピーする
これからあなたが訪問するお城をライフワークとして記録していきませんか?(過去に訪問したお城も記録できます)新規登録(登録は無料です)

岸和田城の城メモ一覧

あなたのお城巡りをより便利に快適に、そして楽しくするためにぜひ登録してください。

新規登録(登録は無料です)

フォローしませんか

攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)

今日のレビュー

関東三国志 ―越相同盟と北条氏邦―

関東での勢力争いを後北条氏目線で解説しています。時間軸としては河越夜戦に至る経過から、甲相駿三国同盟、越相同盟までになります。鎧、画像、文などの資料がかなり収録されています。

ともさん)

書籍ページを表示する

すべてのレビューを表示する

フィードバックのお願い

攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック

読者投稿欄

いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する

トップへ
戻る