福知山城
福知山城

[京都府][丹波] 京都府福知山市内記5


  • 平均評価:★★★★☆ 3.57(55位)
  • 見学時間:1時間4分(75位)
  • 攻城人数:1692(59位)

福知山城石垣の転用石

福知山城の石垣には宝篋印塔(ほうきょういんとう)、五輪塔(ごりんとう)など寺院で使われていた石造物が大量に使用されており、これを「転用石(てんようせき)」と呼んでいます。
銅門番所の脇には調査で発掘された転用石が展示されています。

転用石の点数は現在も発掘調査により発見されているため増加していますが、おおよそ500点で、五輪塔が約250点、宝篋印塔基礎が約35点だそうです。
種類としては、宝篋印塔、五輪塔のほかに、一石五輪塔、石仏、笠塔婆、石臼等があり、これらは現在も石垣の部材として使用されています。

福知山城石垣の転用石
 天守閣の石垣は、「野面積み」「乱石積み」などと呼ばれる技法で未加工の自然石が積み上げられています。また、五輪塔(ごりんとう)や宝篋印塔(ほうきょういんとう)を始め、石仏(せきぶつ)、石臼(いしうす)、灯籠(とうろう)などの石造物が大量に石材として利用され、これらは転用石(てんようせき)と呼ばれています。転用石の大量の使用例は、福知山城や大和郡山城に見られます。再建時の発掘調査で五百個余りが確認されています。
 中に、「延文四年」(一五三九)銘の五輪塔地輪(転用石の年号銘では最古)や、「天文十年」(一五四一)銘の五輪塔地輪(天守閣地階の階段石に転用)があります。また、宝篋印塔の塔身、基礎、基壇と、この地域の優れた石造品をうかがい知ることができます。

展示されているものだけでなく、天守台の石垣は当時のものが現存していますので、この中に転用石の実物を見ることができます。

また、天守の裏側にも発掘された転用石が展示されています。

福知山城石垣の転用石
 福知山城の石垣には、自然石と割石に混じって五輪塔(ごりんとう)・宝篋印塔(ほうとういんとう)などの石塔類が大量に使用されています。もともと供養塔等、他の目的で作製された石造品が石垣等に利用されたものを「転用石(てんようせき)」といいます。現在、転用石は石垣の中に残るもの、福知山城再建時の発掘調査により確認されたものをあわせて、五〇〇個余りが確認されており、そのほとんどが天守石垣付近に集中しています。
 福知山城は築城時に明智光秀が近隣から石塔を集めたという伝承があり、これは、石垣に利用する大量の石材が近辺になかったこと、築城に時間的余裕がなかったためといわれています。転用石の利用は石材の不足、短期の築城のためという理由の他に、旧地元勢力・権威の否定ともいわれていますが、城を守護するものという意識があったとも考えられています。
 転用石で最も多いものは五輪塔の一番下の部分である地輪(方形)が全体の六五%、次いで宝篋印塔の基礎(方形)が十一%余を占めています。その他、わずかですが石仏、南無妙法蓮華経を刻んだ笠塔婆(かさとうば)、石臼、灯篭などがみられます。年号などが刻まれている石もあり、一番古いものは延文四年(一三五九)、もっとも新しいものは天正三年(一五七五)で、いずれも明智光秀が福知山に入ってくる以前のものばかりです。これら転用石は光秀の福知山城築城の様子を伝える数少ない中世資料の一つであり、資料的価値の高いものです。

なぜ墓石を用いたのか?

転用石といえば織田信長の安土城の石段にも石仏や石塔部材が使われているように、当時とくに珍しいものではありませんが、発掘調査によると福知山城には500個以上の転用石が使われています(見えている部分では約300個)。これより多いのは奈良県の郡山城(約700個)くらいといわれています。
確認できるもっとも古い銘文は1359年(延文4年)、もっとも新しいもので1575年(天正3年)となっており、いずれも光秀の攻略以前のものであり、また使用範囲が光秀が城を改修した当時の天守台石垣に偏っていることから、光秀が使用したことはまちがいなさそうです。

福知山城から出土した転用石の70%弱は、「五輪塔」という供養塔の基部にある「地輪」と呼ばれるブロック状の部材で、あらかじめ成形されているため石垣の材として適していたことがうかがえます。
なお模様や戒名が掘られた部分が下側または外側になっているのは、水がたまらないようにする工夫だそうです。

こうした転用石を使用した理由については定かではありませんが、短期間で城を築く必要があったため、単純に石材不足を補うために周辺の寺院などから接収したとも、新領主である光秀に従わない寺社勢力を屈服させるためだともいわれています。
福知山北部にある威光寺(いこうじ)には、光秀は反抗する寺社に対して建物を壊し、石塔を引き倒して石垣に用いたと伝える古文書が残っています。
また歴史学者の小和田哲男先生によれば、民俗学にある「穢れ(けがれ)の逆転」の考え方として、いわば「お守り」として使ったと主張されています。

   

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弥一左衛門さん)

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