移築された銅門番所がある天守前広場から見た天守の石垣には斜めに境界線が入っています。
これは天正時代に明智光秀が築城した頃の石垣と、江戸時代に城が増築された際に積んだ石垣との境を示すものです。

わかりますかね。


右側が光秀築城時の石垣ですね。
いずれも野面積みの石垣ではありますが、五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)のほか、石仏や石臼などの転用石が多く使われています。
増築時の石垣にも、余っていた転用石を使用した部分が見られますが、築城時の比ではありません。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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