福知山市によって作成された福知山城の公式パンフレットです。
明智光秀が築いた丹波の拠点 福知山城
福知山城は、天正7年(1579)頃、明智光秀が信長の命を受けて丹波を平定した際、西国攻略に向けた最前線の拠点として、もともと横山城と呼ばれていた山城を近世城郭に改築したものです。丹波の山々に囲まれた福知山盆地の中央にあり、背後の由良川(ゆらがわ)や法川(ほうがわ)を自然の堀とし、丘陵を巧みに使った要害でした。光秀は、長引く戦乱や水害により荒廃した河原に城下町を整備し、この地を「福知山」と名付けました。また、楽市楽座を設け、由良川の治水対策に尽力するなどの善政を施し、現在の福知山市の礎を築いたことから、光秀は良君として今でも市民から慕われています。
光秀以降、城主はめまぐるしく変わりましたが、寛文9年(1669)に朽木稙昌(くつきたねまさ)が福知山藩主として入城して以降は、朽木家13代がこの地を治め、城下町として、由良川水運の港として繁栄しました。
明治時代に入ると、福知山城は廃城となり、石垣と一部の遺構を除いた大部分が取り壊されましたが、昭和61年、市民の「瓦一枚運動」などにより、往年の絵図をもとに天守閣が復元されました。以来、市のシンボルとしてまちを見守っています。
内部は郷土資料館として公開され、明智光秀や福知山の歴史に関する資料を展示しています。