福知山城
福知山城

[京都府][丹波] 京都府福知山市内記5


  • 平均評価:★★★★☆ 3.60(50位)
  • 見学時間:1時間3分(67位)
  • 攻城人数:2375(58位)

福知山城のパンフレット

福知山市によって作成された福知山城の公式パンフレットです。

提供:福知山市
提供:福知山市
明智光秀が築いた丹波の拠点 福知山城
福知山城は、天正7年(1579)頃、明智光秀が信長の命を受けて丹波を平定した際、西国攻略に向けた最前線の拠点として、もともと横山城と呼ばれていた山城を近世城郭に改築したものです。丹波の山々に囲まれた福知山盆地の中央にあり、背後の由良川(ゆらがわ)や法川(ほうがわ)を自然の堀とし、丘陵を巧みに使った要害でした。光秀は、長引く戦乱や水害により荒廃した河原に城下町を整備し、この地を「福知山」と名付けました。また、楽市楽座を設け、由良川の治水対策に尽力するなどの善政を施し、現在の福知山市の礎を築いたことから、光秀は良君として今でも市民から慕われています。
光秀以降、城主はめまぐるしく変わりましたが、寛文9年(1669)に朽木稙昌(くつきたねまさ)が福知山藩主として入城して以降は、朽木家13代がこの地を治め、城下町として、由良川水運の港として繁栄しました。
明治時代に入ると、福知山城は廃城となり、石垣と一部の遺構を除いた大部分が取り壊されましたが、昭和61年、市民の「瓦一枚運動」などにより、往年の絵図をもとに天守閣が復元されました。以来、市のシンボルとしてまちを見守っています。
内部は郷土資料館として公開され、明智光秀や福知山の歴史に関する資料を展示しています。
提供:福知山市
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江戸お留守居役の日記―寛永期の萩藩邸

攻城団の勉強会で話題となった江戸時代に書かれた日記関係の書籍を読んでみたくなり、図書館のホームページで検索した所、何度か読んだことのある山本博文先生が書かれた「江戸お留守居役の日記◆寛永期の萩藩邸◆」が抽出されたので読んでみることにしました。内容は萩藩の江戸留守居役である福間彦右衛門によって寛永期に書かれた日記が元になっています。この本を読むまでは、江戸屋敷に常駐している藩士は自由に江戸の町で行動出来ると思っていましたが、実際はかなり制限されており、不自由な生活を余儀なくされていた事を知りました。そのような過酷な環境の中で藩士が起こした不始末や幕府から出された命令を、留守居役の彦右衛門が町奉行、旗本と相談しながら解決していく様が描かれています。なお、屋敷外での勤務、藩邸周辺の警備にあたる辻番所は近代の交番のルーツだそうです。当時の江戸屋敷の武士、町民の生活が垣間見られた一冊です。

まーちゃんさん)

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