中堀とは、現在も明石公園の周囲を囲んでいる水堀です。
築城当初からある堀で、北東にある北の丸「独ノ門」を起点に七間半の幅で東に伸び、幅十五間の薬研堀、南北二十二間・幅十八間の千石堀(箱堀)につづいて東堀、南堀、西堀と明石城の主要部を取り囲んでいます。
もともとは「内堀」と呼ばれていましたが、1631年(寛永8年)に起きた本丸御殿の焼失にともない三の丸の下屋敷を拡張して居屋敷曲輪がつくられると、居屋敷曲輪を囲う内堀ができたため、以後は外堀と呼ばれました(外堀は「総堀」に)。
なお東堀が途中で切れているのは地形の高低差にあわせて堀の水位を変えるためです。
東堀は東不明門まで約151m・幅十一間(20m)、南堀は東不明門から西不明門まで三百八間半(561m)で、堀幅は太鼓橋から東が十一間(20m)、西が二十間(36m)ありました。西堀はもともと三百二十四間(589m)ありましたが、1924年(大正13年)に山里曲輪を編入して公園拡張する際と、1948年(昭和23年)の陸上競技場建設にともない北側が埋め立てられ、現在は188mだけが現存しています(幅は15〜22m)。
また現在、太鼓門橋の東側には11基の笠形噴水とともに蓮が生えていますが、江戸時代には生えていませんでした。
堀にいる白鳥
現在の白鳥がその子孫かは不明ですが、かつての市長が皇居の濠にいた白鳥をつがいでもらってきたそうです。