月照寺は明石城の本丸跡にあった寺院で、平安時代初期の811年(弘仁2年)に空海によって創建されました。当時は湖南山楊柳寺と呼ばれていました。
明石城築城にともない柿本神社とともに現在地に移っています。
明石城が廃城となった1873年(明治6年)に「切手門」が山門として移築されましたが、阪神・淡路大震災で倒壊したため現在の門は復元されたものです。
建造物月照寺山門
明石市指定文化財(昭和四十五年度)
一、元和四年(1618)小笠原忠政が徳川秀忠から伏見城薬医門を拝領、明石城の切手門とする。
一、明治六年、月照寺山門として移し建てられた。明石市教育委員会
隣接する柿本神社は柿本人麻呂を祭神とする神社で、境内には6代藩主・松平信之が建てた亀の碑(市指定文化財)があります。
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切手門
正式名称は「格ノ門」といいます。
もともとは伏見城にあった門で、本丸御殿焼失後に小笠原忠政が居屋敷曲輪を整備した際にその正門(表門)として使われました。
桁行四間(約7.27m)、梁間三間(約5.45m)の四脚門で、瓦には三階菱の家紋があるとされています(未確認)。
現在の復元門には三つ葉葵の家紋が用いられているようです。
築城時、切手門はどこに?
居屋敷曲輪ができる前、つまり築城時に切手門はどこにあったのかについてはわかりません。
城内の別の場所にあったものを移したか、下屋敷の門として使っていたものがたまたま火事で焼けずに残ったか、坤櫓と同様に火事で燃えたあと同じ形式で立て直したものかのいずれかであると思われますが、文献等ではそこまで記されておらず、定かではありません。
住所 | 明石市人丸町1-29 |
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