高家寺は約1300年前の白鳳期の寺院跡に初代明石藩主・小笠原忠政が再建した寺院です。
兵庫県指定文化財建造物「高家寺本堂」(平成二一年指定)
高家寺(こうけじ)本堂は、元和(げんな)年間(一六一五〜二四)に明石城主小笠原忠政(おがさわらただまさ)が再建したと伝えられている。桁行(けたゆき)五間、梁間(はりま)五間の向拝(こうはい)をもつ寄棟(よせむね)造りの建物である。明石市内では最古の寺社建築で、側柱が角柱、組物が舟肘木(ふなひじき)という簡素な外観をもつ中世仏堂形式の五間堂としては、県内唯一の事例である。兵庫県南部地震で大きな被害を受け、老朽化も進んだため修理工事を行い、平成一六年に竣工した。
彫刻「薬師如来坐像」(平成一四年指定)
また、本尊の薬師如来坐像は明石郡七仏薬師の一つで、典型的な平安時代後期の様式を示す彫刻である。
忠政が建てたとされる本堂は市内では最古の仏堂で、蟇股や欄間には小笠原氏の家紋である「松皮菱(三階菱)」が彫られています。
寺宝としては忠政の正室である圓照院(五姫/亀姫)の位牌が安置されているほか、忠政が小倉へ移る際に後任の松平庸直へ寺の保護を依頼した書状があります。
また境内の南東隅にある土壇上には白鳳時代の塔跡の礎石が残っています。
住所 | 明石市太寺2-10-35 |
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