魚の棚(うおんたな)商店街は明石城築城時からある商店街で、宮本武蔵による町割で誕生しました。
東魚町(現在の本町一丁目)および西魚町(現在の本町二丁目)と東西ふたつにわけた理由は定かではありませんが、現在はおもに鮮魚を扱っていた東魚町周辺がアーケード化されて残っています。
(おもに干物を扱っていた西魚町は昭和初期に廃れた様子)
By 松岡明芳 - 松岡明芳, CC 表示-継承 3.0, Link
元文年間(1736年~1741年)には鮮魚店が56軒、塩干物店が50軒あったそうですが、現在は全長350mのアーケードに明石の海産物や乾物などを扱う商店、明石焼などの飲食店など約110店の店舗が建ち並んでいます。
「魚の棚」の由来
江戸時代、漁港のある城下町には「魚の棚」という地名があったようです。ただそれが現在まで残っている例は少なく、全国的にもっとも有名なのが明石の魚の棚商店街です。地元では昔から「うおんたな」と発音します。